【ハイキュー!!】烏野高校の年表まとめ
主将(澤村)が一年の時の主将(田代)が一年の時、小さな巨人いなかったのか?と意味の解らないこと考えて、一体烏野はどんな勢いで地に落ちたのか調べました。
小さな巨人とか、烏野町内会とか、ブラコン明光とか、烏野の学年関係(?)をまとめてます。
※本編の時間軸は2012年度ということらしいので、それ基準でいきます。
※大人たちの学年は、表記されている年齢を『誕生日を迎える前の年齢』で統一してます。
《多分1957年度》
- 鳥養監督(中学2年)、猫又監督(中学2年)と出会う。
《多分1960年度》
- 烏野、全国大会出場。一回戦敗退。
《1996年度》
- 日向たち、生まれる。
《2001年度》
- (多分)鳥養、滝ノ上、嶋田が入学。
- (多分)内沢(烏野町内会のクリーニングの人)が三年生。
《2004年度》
- 田中(小学3年)、少年団バレーに所属。
- 影山(小学2年)、少年団バレーに所属。
《2005年度》
- 月島兄が入学。
- 月島と山口(小学3年)、少年団バレーに所属。
《2006年度》
- 小さな巨人、田中姉が入学。
《2007年度》
- 月島兄が三年生。
- 小さな巨人は二年生。背番号は10番。
- 月島と山口(小学5年)、IH予選を観戦。この試合が何回戦だったのかの描写は無い。
- IH予選は決勝で白鳥沢に敗退。
- 日向(小学5年)、電器屋の前で春高バレーを見かけ、小さな巨人に憧れる。
- 澤村(中学1年)、テレビで春高の烏野を観戦し、進学を決める。
- 春高は三回戦で敗退。
- 鳥養監督は、この年度を最後に引退したと思われる。
※この年度の烏野に関して、IH予選と春高の両方で小さな巨人が同じ10番、しかも県代表として春高に出場する高校の大半に三年が在籍しているため、この年の三年の引退は春高後の可能性あり。ただ、10巻の小五ツッキーがIH前に「兄貴、三年だから県内での試合は最後」と証言しているため、真偽は不明。選手の三年生だけ春高まで残り、それ以外の三年はIHで引退した可能性も考えられる。
《2008年度》
- 小さな巨人、田中姉が三年生。
- 田代が入学。
- この年から、全国の舞台に立つことは無かった。
《2009年度》
- 日向、雪ヶ丘中学に入学。たった一人のバレー同好会。
- 影山、北川第一中学に入学。及川を脅かす存在だった。
- 黒川が入学。
《2010年度》
- 澤村、菅原、東峰が入学。
- 主将は田代。三年の引退はIH予選後。予選は二回戦敗退。
《2011年度》
- 西谷、田中、縁下、木下、成田が入学。この年の新入部員は当初7人。
- 主将は黒川。三年の引退はIH 予選後。田中曰く「あっという間」
- 夏休み、鳥養元監督の指導。14巻縁下の回想に、黒川がいるのが矛盾点。
- 三年引退後、田中が頭を丸める。
- 県民大会で東峰がバッキバッキに折~れ~♪
- 西谷、校長室の前の花瓶を割り一か月の部活禁止。新年度始まる直前。
《2012年度》
☆小ネタ
◆鳥養元監督の学生時代の年表は要らなかったかもしれないけど、面白いんで入れました。33巻で、猫又監督が実は宮城出身だったことがわかってビックリです。東京に引っ越して、都会っぷりに腰抜かして欲しい。オリンピックもあったしね!
◆実は明光兄ちゃんと冴子姐さんは同い年。月島明光クンは早生まれなので、冴子さんより一学年先輩です…呼び捨てられてるけど…。
◆烏野町内会メンバーで大学生の森くんは、烏野高校の卒業生ではないと思います。他の人は「OB」と表記があったのに、森くんは無かったので。
◆バレーを始めたのが一番早かったのは、やっぱり影山?だけど、それ以外にも小学校からやってた人は普通にいますね。小学校の時にバレーやってたから中学でもバレー部に入ろ~→中学でやってたから高校でも~という流れは普通にある。何の競技にしても。
◆そして影山と比べると、中学三年間ほぼ身になる練習ができず素人同然で高校入学した日向の上達っぷりすごいよね。
◆月島がバレーを競技として本格的に始めたのは、小学3年の時なんだろうけど、多分それ以前からボールには触ってると思う。お兄ちゃん大好きっ子だし「兄ちゃん遊ぼ」ってバレーボール持ってくると思う。日向の妹見てたら十分あり得る。
◆見た目野球少年っぽい田中が、なぜ野球チームではなくバレーチームに入ってたのかわからないけど…田中、ホントになぜバレーをチョイスした…?